| ブロークン英語で世界の悩みに触れてみる |
| ◆They were Anxious to Change Their Destinies.◆ 彼らは自らの運命を変えたいと切望していた。 |
| 俺が今まで触れ合って心に残った世界の悩める人達 |
幼い姉妹が待ち合わせに来なかった理由 ダバオ市 ミンダナオ島 フィリピン アン 姉7歳 妹5歳(名前不明) |
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| ◆They were
Anxious to Change Their Destinies.◆ 彼らは自らの運命を変えたいと切望していた。 |
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ダバオ市に借りていたレントハウスに住んでいた頃の話しです。当時 俺は、建築中のサマル島に時々様子を伺いに行く傍ら、釣り場探しや、漁船購入の為に、ミンダナオ各地を転々としながら過ごしていた。 レントハウスはその合間の休憩基地のような場所で、フィリピンで唯一、1人になれる貴重な時間を持てる場所でもあった。(事実フィリピン人はホスピタリティーに溢れていて、なかなか客人を一人にはしてくれないww) (ミンダナオに限らずフィリピンでは行く先々で歓待を受け行動まで心配され、食事や洗濯まで面倒を見てくれるのだが、落ち着ける時間が無いのも事実で、時折数日レントハウスに篭って自分を取り戻す時間を設けていたw) 普段の月は、ダバオのレントハウスには月に10日程しか滞在できなかったのだが、ある月に知人の子供が相次いで病気で倒れ、その入院費と治療費でその月の生活費と行動費を使い果たした俺は、半月以上、レントハウスでの生活を余儀なくなれていたw。(ようは金欠で動けなかったわけだww) ちなみに病気にかかった1人の子供は、デンギー(デング熱)という蚊を媒体として、もたらす出血熱の病気だった。その子はサマル島でその病気にかかったのだが、倒れているところを発見された時には、すでに目や耳、鼻から出血しており、一刻をあらそう事態であったらしいのだ。 島には治療出来る医療設備もなく、ダバオに居た俺が連絡を受け取った後、チャーター船を用意して、本島まで運び、タクシーで病院まで輸送する手配をしたのだが、この国はチャーター船もタクシーも、病院すらも前金で支払わないと、なかなか動いてはくれない。目の前で子供が死にそうになっていても、薬一つ処方してくれないのだ。それには医療費が払えない人々がいかに多いかと言う事を考慮すれば解らないでもないが、やはりやりきれない部分が残る。携帯電話で支払い能力を説明して支払いの約束を付けながら病院に辿りついた時にはすでに、治療が施されひとまず出血は止まり後は本人の回復力次第という事だった。話を元に戻そうww 半月ほど金欠で動けず、家でボーとすごしたりタガログ語の勉強したりして、 過ごしていたのだが、毎朝、早い時間に外で子供の声がする、その子達は姉妹で、大きなバケツをかついで何か大声で呼びかけながら各家を回っていた。俺の家にももちろん来ていたのだが何を言ってるのか解らない。 彼女達が使っていたのは現地の言葉のビサヤ語だったからだ。 あるとき、彼女達がいつものようにやって来た時にた、たまたま現地の友人が遊びに来ていて俺に説明してくれた。 俺 「あの子達は何かを売っているのかい?」 友 「あぁ、あの子達か・・・あの子達は毎朝、各家を回って残飯をもらっているんだ」 俺 「ほぉ〜、それでその残飯はどうするんだい?」 友 「近所の養豚場に持って行くとお金に代えてくれるんだ」 俺 「ほぉ〜、それでか・・・でも良かったまさか彼女達が残飯を食べるのではないかと心配したよw」 しばらくして俺の家にも彼女達はやって来たが、俺は1人暮らしだし、 自炊といっても簡単な物しか作らないので、残飯が無い事を告げると次の家に向かって歩いて行った。 俺 「こんな朝早くから感心な子供達だね」 友 「あの子達の父親は全然働かないから彼女達が家族を養っているんだ」 俺 「そうなのか〜あんなに小さい子供なのに・・・・」 午後になって、彼女達が戻って来て、なにやら俺に話しかけてきた。 ビサヤ語は解らないと告げると、姉のアンが、あまり慣れてないのか恥ずかしそうに、タガログ語で話してくれた。 アン「私達に何か仕事をくれない?」 俺 「あの・・・仕事ってどんな事?」 アン「何でもいいの・・・洗濯とか掃除とか台所の片付けとか何でもするわ」 俺 「そうか・・そういう仕事か・・でも、ごめんね洗濯も掃除ももう済ませてしまったんだ。」 アン「庭の草むしりとゴミ捨てがあるわよ!ホラ!あそこに草が生えてる!」 「入ってもいいですか?」 と言って姉妹が庭に入って来るなり草むしりを始めてしまった・・・(果たしていくらこの子達に払えばいいのだろうか?などと考えていたら、先ほどの友人が声をかけて来た) 友 「ハイ! ※ブランディー 何か困ってるのか? 子供達が迷惑かけてるなら俺から話ししてあげるよ?」 (※俺のニックネーム金髪だかららしいw) 俺 「イヤ迷惑とかそういうんじゃないんだけど、あまり言葉も通じなくてさ・・ ところで、あの子達は庭掃除を始めてしまったんだが、いくら払えばいいものなんだろうか?」 友 「それは、君次第さ、20円でも40円でもそのくらい払えば満足して帰るよ!」 俺 「40円??? 一人かい?」 友 「だから君次第だよww。あまり多く払う事は良い事ではないよ。」 俺 「OK ありがと またね!」 さて、意外なところで考え込んでしまった・・君次第って相場が解らないから聞いているんだが・・・・・いったい、いくら払ってあげれば妥当な金額なのであろうか・・・いくら金欠とはいえ日本からフィリピンにまで来て、小さな姉妹にケチとは思われたくはないのだが、その逆に金に物言わせて行動するような、カッコ悪い日本人が多いのも事実で、そう思われるのもイヤなもんである。(世界の何処にでも日本人向け価格が存在している事は非常に恥ずかしい事でもある。) さて2人の幼い姉妹だが、まるで俺の存在を無視するかのように寡黙に、草むしりとゴミ捨てをこなしていた。俺はといえば特にする事も無く、幼い姉妹が気になってTVも気が散って見れない程であった。 時折、傍を通り過ぎる姉のアンを捕まえては話しかけるのだが、なんともマジメに仕事をしていて、なかなかつれない素振りなのだw それでも、姉が7歳、妹が5歳だという事は教えてくれた。 さて姉妹の仕事が終わり仲良く外の水道で体を洗い出したので、中に入ってシャワーを使いなさいと声をかけると遠慮して入って来ようとしなかった。 (まぁ、初対面で遠慮してるんだろう!と思いつつ) 悩んだあげく、2人で100円を支払い、それとは別にジュース代として100円をあげたのだが、ジュースは要らないと言う、フィリピンにはそういう子供が多いので、なんとしても、この幼い姉妹にジュースを飲ませてあげたくなり、俺のビールとタバコとジュースを買って来て欲しいと、お遣いを頼んだ。 買い物から帰って来た姉妹は、遠慮しながらも俺がグラスに注いだジュースを飲みながら、少しは金髪の日本人に慣れてきたのか・楽しそうに話しかけてきた。(こういう瞬間は、子供らしさが見えて俺もほっとしたりするんだw) 聞く所に寄れば、その姉妹は毎朝6時前には、近所の家庭を回って残飯をもらい、その後、養豚場でお金をもらいながら、豚小屋の掃除をして、その帰り道に近隣の家庭から掃除などの仕事をもらって、家に帰るのだそうだ。 自宅に戻るのは5時とか6時らしい・・・それから食事の支度もしなければならないと言うことだった。 母親は産まれたばかりの赤ん坊の世話と洗濯と掃除で忙しいらしい。 姉妹には下に3人の兄弟が居て5人兄弟ということだ。 いつでも食べ物に困っていて1日たりとも休む事は出来ないらしい。 帰り際にアンが、テーブルの上の食パンをもらえないか?と聞くので持たせてあげた。姉妹はしっかりテーブルの上のジュースの空きビンも持って商店でお金に代えて帰って行った。 しばし姉妹の事を考えていたら、すっかり暗くなった頃に姉妹がまた戻って来た。どうしたのかと尋ねたら、テーブルの上にあったマヨネーズも欲しかったのだが、さっきは恥ずかしくて言えなかったと言うww 自宅で父親に、「何でマヨネーズももらってこなかった?」 と言われたのだそうだww そこで、マヨネーズの他に、買い溜めしてあったインスタントラーメンとツナ缶とコンビーフを持たせてあげた。(その晩の俺の食べ物もあげてしまって後で困ったw) 翌日から、俺はその姉妹が来るだろうと思い、洗濯や片付けの仕事をとっておいてあげる事にして、ジュースと(俺は飲まないのだがw)食パン・缶詰めなどを姉妹の為に用意してあげる事にした。 姉妹は多い時は毎日のように、少なくとも3日に1度は俺の家に仕事をもらいにやって来た。だが掃除洗濯と言っても1人暮らしでは、いくらも量がないので、アッと言う間に終了する。そこ頃の俺は、彼女達が仕事を終わるのを待って色々歓談するのが1つの楽しみになっていた。 彼女達は、俺が日本語や日本の事を話しするととても嬉しそうに聞いていたし、自分たちの家族の事も楽しげに話してくれた。 ところで、彼女達の身に付けている衣服なんだが、これがもうボロボロで、 綺麗に洗濯はされているものの、ところどころ破れていて、アンのTシャツなどは、おへソも乳首も丸見え状態だったし、サンダルもかた方色違いであったり、兄弟が出かけて履いて行ったとかで、姉妹で1足を片方づつ履いている時もあった。 そんな姉妹のボロボロの衣服を見るに見かねて、ある日、俺は姉妹を町に連れて行って買い物して、ご飯を食べて映画を見せてあげたいと思うようになった。 アンにその事を話すと、とても無理だと言う。1日も休むわけにはいかないのだと・・・。 俺 「アン! 休むわけにいかないのは解ってるから、その日の分の給料は俺が払うよ!」「それなら問題はないだろう?」 俺 「デパートに行ったら兄弟の分の洋服とみんなのご飯のおかずを買って、映画を見て帰ってくればいいさ!」「映画は見た事あるかい?」 アン「映画は見た事が無い! デパートも行った事が無い!」 「行きたいけど、無理だと思う」 「休んだらお父さんに怒られるから・・・」 俺 「そうか〜・・それじゃ朝の残飯集めが終わってから出かければどうだい?」 「それが終わったら君は、俺の買い物に荷物持ちとして来るんだ。そしてその給料を俺から受け取る。」 「それは君のアルバイトなんだ」 「洋服はボーナスだと思えばいい」 アン「それなら怒られないかしら・・・」 「じゃ今度の土曜日に、養豚場終わってから来るね!」 「弟たちはまだ小さいから妹と二人で来るね!」 俺 「あぁ、そのかっこじゃデパートも恥ずかしいだろうから近所の市場で先に服を買ってタクシーで行くから、弟連れて来てもいいよ!」 帰っていく姉妹を見送りながら、密かに週末の買い物が楽しみな俺であったが・・ この時点で金の使い方を間違えたアホでバカなカッコ悪い日本人だったのかもしれない・・・・ 約束の土曜日、普段なら養豚場の仕事も、とっくに終わっているだろう時間になっても、幼い姉妹は現れなかった。 (まさか忘れているわけでは無いだろう・・・) その日、俺はどこかに出かける訳にも行かず、時折幼い姉妹の事を考えながらボケ〜と1日を過ごした。 1人で晩飯を作り食事を済ませた俺は、玄関に出てから通りを歩く人々と時折、挨拶を交わしながらボケ〜っと過ごしていた。 そんな時、すっかり日の落ちた通りに何か大きな荷物を抱えている姉妹の姿が現れた。その荷物はトラックの古タイヤをひっくり返して作った大きなバケツだった。(このバケツだが元がトラックのタイヤで出来ているので大人にも非常に重いシロモノなのだ) 姉妹は家の前の通りを大きなバケツをズリズリ引きずりながら俺の家の方へとやって来た。 俺 「アン!こんな遅くまで何してるんだい?」 アン「クヤ(お兄さん)今日はごめんなさい!どうしても仕事が終わらなくて・・) 俺 「それは構わないけど・・・今まで養豚場の仕事だったのかい?」 アン「うん、今日から、新しく大きな養豚場にも行く事になったの・・・」 俺 「そうなのか大変だね。でも今日からなんてタイミングが悪いね・・」 アン「それがクヤとデパートと映画に行くって妹が父に話したら父がひどく怒って・・・・」 俺 「・・・・・・・・」「それで新しく仕事を言いつけられたのかい?」 アン「そうなんだけど、お金も良いし、私達が働かなきゃいけないから」 俺 「君にはすまない事をしてしまったね」「本当にごめんね」 俺が余計な事を言ったから・・・・・」「こんなに遅くまで働かなきゃならなくなって・・・」 俺は正直、この幼い姉妹の父親にどうしようもない怒りを覚えた。 いっその事、俺の養子にしてあげたいとも考えたが、時が経つにつれ、 そんな父親でも姉妹にはかけがえの無い父親であり、家族の事を語るときの姉妹の笑顔はその家族が彼女達にとっての真の幸せである事を物語っていたのであろうと考えるようになった。 姉妹は以前にもまして仕事が忙しくなったので、昼間に俺の家に来る事はなくなったが、時々、夕暮れに時々俺の家に寄って、おしゃべりをして帰って行った。 この一見恵まれない姉妹の生活をなんとかしてあげたいなどと思う事自体がそもそも平和ボケの証拠であり、奢った考えだったのだろうかとも、思っている。 もっとスマートに手を差し伸べてあげられるようになりたいものだ
エイズと貧困に苦しむアフリカその中でネットを通して知り合ったタンザニアの青年の活動を、助けようと、私とオンラインで知り合った仲間が、タンザニアの子供達に文具を送ってあげる事になりました。 初めて間もない活動ですが、多くの協力者を得て第1便が近日、日本から発送される予定です。 みなさんの協力に感謝します。 お待たせしました。 タンザニアの子供たちに文具を送る準備ができました。 沢山の方々に激励頂き、又 関心をもってくださって、本当に有難うございます。おのおのの思いを形にして行きましょう 文具なら何でもいいです。送るための選別は私の関わっているボランティアさんが手伝ってくれます 例 鉛 筆 色鉛筆 ボールペン ノート 定 規 コンパス パステル 消しゴム その他思い当たる物があったらよろしく 新しいものでなくともいいです 書きかけの、ノート等は子供たちの興味を引くかもしれません 衣類 今日調べましたら古着に関してはクリーニングして下さい 使用してない物に関してはそのままでもいいそうです 今回送る対象で有りませんでしたが、申し出がありましたので現地で売って金に換えられたらと思っています あて先 〒693−8790 島根県出雲市 出雲郵便局 私書箱3号 ジャンボ、キッズ係りです
フィリピンのミンダナオの貧困地区の子供に、せめてクリスマスにはお米を食べさせてあげたい!。 私の第2の故郷とも言えるフィリピン中でもミンダナオ島の人々や子供達との交流は、その後の私の人生観すら変えてしまった。 日々の3度の食事ににも事欠く現状のミンダナオの貧困漁村地区で、家族の為に働き続けながらも元気に明るく生きてる子供達にクリスマスプレゼント。お米を送ってみんなで食べてもらいたい。 現在の所、約300キロの寄付を寄せて頂いております。 お米をフィリピン現地で購入すると50kg3000円程で購入出来ます。50キロあればかなりの人数分の食事が賄えます。慢性的な貧困の手助けにはなりませんが、せめてクリスマス位は、お米の食事を食べて笑顔で迎えてもらいたいものです。 日本の国産米は現地でも美味しいと評判ですが残念ながら大量に送る事は出来ません。2次製品であれば可能ですが・・・。そこでこちらの活動では現金を送ってもいいよ!と言う方がおられましたらご連絡下さい。 フィリピンへの送金は、私の口座よりフィリピンのメトロバンクへの送金になりますが、送金手数料が2000円と高額ですので、週一回の送金を予定しております。送金手数料の関係上、寄付は1口3000円からとさせて頂きます。 寄付してくださった方には送金明細と現地にての受領サインと子供達からの手紙がご自宅まで届く予定になっております。お預かりした寄付金は、私が責任を持って子供達の手元にお届けします。 お問い合わせ tatezo-@miracle-works.net 増田
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