| ブロークン英語で世界の悩みに触れてみる |
| ◆They were Anxious to Change Their Destinies.◆ 彼らは自らの運命を変えたいと切望していた。 |
| 俺が今まで触れ合って心に残った世界の悩める人達 |
| その少年はいつもニコニコしていた。 チャンリー フィリピン ミンダナオ島 ダバオ市 サマル島 |
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| ◆They were
Anxious to Change Their Destinies.◆ 彼らは自らの運命を変えたいと切望していた。 |
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その少年に出合ったのは、ダバオ湾の沖に浮かぶ、リゾートアイランド オブ サマルの当時俺が建築中だったコテージの建築現場だった。この島に暮らす多くの住民は漁業で生計をたてており、他のミンダナオの漁村のようにとても貧しい暮らし振りをしている。島の3分の1の地域には未だに電気も水道も通っておらず、日本人から見たらかなり原始的な生活に写るかもしれない。 俺はこの島でこの島を俺に紹介してくれた元出稼ぎで日本でタレントをしていたフローレンダの実家に居候しながらコテージを建てていた。フローレンダは本島のダバオ市内に旦那と子供と暮らしていて時折心配して様子を伺いに来てくれていた。 フローレンダの実家ランボー家の人達に頼まれて仕事の無い住民や学校に通えない子供達にアルバイトを与えて欲しいと言う事で、男女会わせて大人が8人と子供達が10人程だ。日当は大人が1日160円 子供が80円で昼飯を用意してあげる事になっている。食事は俺には作れないのでランボー家のお母さんに、家族8名の食費を出す事で作ってもらっていた。 チャンリーは見た目は7歳ほどの男の子にしか見えないのだが実は13歳だという、ランボー家の人の話しでは小さい頃から働き過ぎと栄養不足で身長が伸びないらしい。チャンリーの母親が数年前に再婚して新しい旦那との間に子供が4人、チャンリーは前の旦那との子供であり兄弟5人で唯一父親が違うという環境で育っていた。チャンリーの新しい父親は今までに1度も働いた事が無く母親の内職とチャンリーのアルバイトで、祖父母を含む大家族の生活を支えていた。 このチャンリーに与えられた仕事は、家の基礎(土台)になる珊瑚集めだ。 俺の希望で基礎の部分もなるべく自然に見えるようにセメントだけでなく珊瑚をちりばめようといった目論見だ。珊瑚集めの仕事はかなりハードで海岸線を土嚢袋を持ちながら珊瑚を拾い集めて担いで建築現場に運んでくる事を1日繰り返す、満タンになった土嚢袋は20kg近くになるのではないだろうか?。 多くの子供達は仕事が終わると俺の元にやってきてその日の給料の仮払いをねだる、給料は毎週土曜日に支払う事になっているのだが、その日の米を買う為に、ほぼ毎日のように仮払いの行列が出来るのだ。子供達は自分の収入でジュースやお菓子を買う事は無く、家族の為に米や灯油の購入に使うのだ。 あまりに不憫に思った俺は時折「これでみんなでジュースとお菓子を買いなさい」と、お小遣いを渡そうとするのだが、誰一人受け取る者は居なかった。 給料はもらっているので受け取れないというのだ・・ チャンリーは実家が貧しくて口減らしの為にランボー家で家畜の世話や洗濯・掃除なども手伝いながら食事を食べさせてもらい、ランボー家のベランダで寝泊りしていた。彼の新しい父親はチャンリーの稼ぎが少ないと暴力を振るうらしく、母親もそんな旦那を止める事も出来ないでいると言う。 そんな絶望的な環境ながら、彼はいつもニコニコ笑って暮らしていた。 彼の担当である珊瑚運びの仕事が終わりコテージも完成が見えて来た頃にも毎日建築現場に来ては、掃除・ゴミ燃し・水汲みなどを誰に頼まれるでもなくこなしていた。俺が海岸で寝ていると魚を釣って持って来てくれたり、ビールを持ってきてくれたり、コテージの外装が完成した頃には毎日俺の隣で寝泊りしていた。この頃の俺の英語レベルは英検で言えば5級レベル(笑)タガログ語なら何とか1人で買い物・旅行が1人でこなせるレベルだったのだが、彼はこの島で暮らしていてまともな教育を受けて居ないので、フィリピンの公用語であるタガログ語・英語ともに苦手であり、ミンダナオ島地区の元々の言語であるビサヤ語だけで暮らしていたので、俺とのコミュニケーションは主にお互い片言の英語・タガログ語・ビサヤ語のミックスでありお互いに辞書を片手に色々と話をするような、なんとももどかしい会話であった。 彼の夢は大学を出て母親と父親の暮らしを助けてあげる事、そしてまだ幼い父親違いの兄弟を学校に通わせる事だった。 ある日、ランボー家の子供が通う学校の見学に行きたいと言ったらチャンリーが案内してくれた。その学校は小学校・中学校・高校が同じ敷地に建てられており、建物は古いのだが、手入れが行き届いており、思っていたよりも清潔感があり、お洒落なイメージだ高校中退の俺はココに通いたいな〜などと、ふと思ったりしていた。校内は授業中であり静かな雰囲気であったが、建物の中に入り、廊下から授業風景を覗くと、俺に気づいた子供達が騒ぎだした。金髪の日本人が一人で大きなコテージを建てているので島の住民には有名なのだ。 校内が、あまりに大騒ぎになったので、チャンリーを連れて、いそいそと退散した。 その帰り道、ヤシの木が並んだ海沿いの道をチャンリーと話をしながら歩いた。俺はそれまで、聞くか聞くまいか悩んでいた事を、チャンリーに聞いて見た。 俺 「チャンリー学校に行きたくないか?」 チャ「行きたいけど、僕が働かなきゃ弟達がご飯食べていけないから・・・」 俺 「もしね、俺がその必要なお金を出してあげるとしたらどうかな?」 チャ「行けるのなら本当に行きたいよ!」 「クヤ(お兄さん)僕はお父さん・お母さんを助けてあげたい!弟や妹も学校に通わせてあげたいんだ。」 「だから大学を出て都会で仕事をしたい!」 俺 「うん、君なら出来るよ、もしチャンリーががんばって成績が良かったら、大学に通うお金も手伝ってあげるよ!」 チャ「もし、僕が大学卒業したら日本に行ってクヤの会社を大きくしてあげるよ」 俺 「アハハハ・・・その時はよろしく頼むな!」 「お父さんとお母さんには俺から話ししてあげるから、学校の事は俺は良く 解らないから、ランボーのお母さんに頼んであげるよ。」 チャ「クヤ、ありがとう!がんばるよ!」 その日の夜ダバオから来ていたフローレンダに通訳を頼んでチャンリーの母親に会いに行った。その母親はフィリピン人には珍しく、俺と面と向かって会話しようとせず、通訳のフローレンダに耳打ちで色々と話しをしていた。チャンリーが学校に通う間に俺がいくら生活費に出してくれるのか心配のようだった。 なにせ相手が会話を拒否してる状態なので、金額も条件もラブリーの判断にゆだねて、ともかくチャンリーが学校に通えるよう頼みこんだ。 どうやら母親は、話しが済んだらしく「よろしく」と一言告げて去って行った。 俺からしてみると、息子が学校に通えるチャンスなので喜んでくれると思ったのだが・・・。ランボー家に戻ると、うって変わってチャンリーが学校に通える事で家中大喜びで大騒ぎ。早速、明日ダバオにチャンリーの制服と靴・ノート・鉛筆などを買いに行くと、大ハリキリだ!。(この時点で俺が支払った総額は入学費用も含め、2万円程度だ) 数日後、ランボー家の母が学校にかけあい、特別に中途入学を認めてもらい、チャンリーは、ピカピカの制服に身を包み生き生きと出かけて行った。 その後、俺は、釣り船を購入する為に、本島のダバオに戻り2ヵ月ほどダバオで過ごしたのち、急遽日本へ帰国せねばならず、サマル島のコテージーには帰れないまま、大勢の友達に見送られて、ダバオ空港を後にした。 日本に戻って数ヵ月、時折ランボーの母からチャンリーが成績優秀で褒められたとか、自分の事のように喜んで連絡をしてくれていた。 そんな、ある日、ランボー家のフローレンダが慌てたように電話して来た。 チャンリーが学校を辞めさせられて、今何処に居るのか解らないと言う内容だった。詳しい内容は彼女自身もわからず、ただ困惑しているような様子だった。 彼女は、ひたすら俺の好意を無にした事を詫び続けていた。ランボー家の母は泣き崩れ、父は激怒しているらしい。ランボー家の人々は俺の好意が無になった事をとても残念がっていた。 今でも、チャンリーの辞めた理由も行方も定かでは無い。 ただ、フローレンダの話しでは、チャンリーだけが学校に通っている事で父親が腹を立てて暴力を振るっていたらしいという事。兄弟達も兄の通学を不満に思っていた事。母親は俺が母親にではなくランボー家に生活費を預けていた事に不満を感じていた事。退学届けは母親が出した事。 チャンリーは現在ダバオ市内で働いているであろう事・・・・・・ 俺の浅はかな考えで援助した事が、結果的にチャンリーを家族兄弟、故郷からも追い出す形になってしまったのだろうか・・・・ 義父にいじめられながらも、家族の為にお金を送り続けたチャンリーには、 たった数年学校に通う自由も無かったのだろうか・・・・・ 彼のこの言葉が虚しかった・・・・ 「行けるのなら本当に行きたいよ!」 「クヤ(お兄さん)僕はお父さん・お母 さんを助けてあげたい!弟や妹も学校に通わせてあげたいんだ。」 「だ から大学を出て都会で仕事をしたい!」 今もチャンリーはフィリピンの何処かで、自分を愛してくれない家族の為に、 ニコニコしながら働き続けているであろう・・・・ Good Luck & God Bless
エイズと貧困に苦しむアフリカその中でネットを通して知り合ったタンザニアの青年の活動を、助けようと、私とオンラインで知り合った仲間が、タンザニアの子供達に文具を送ってあげる事になりました。 初めて間もない活動ですが、多くの協力者を得て第1便が近日、日本から発送される予定です。 みなさんの協力に感謝します。 お待たせしました。 タンザニアの子供たちに文具を送る準備ができました。 沢山の方々に激励頂き、又 関心をもってくださって、本当に有難うございます。おのおのの思いを形にして行きましょう 文具なら何でもいいです。送るための選別は私の関わっているボランティアさんが手伝ってくれます 例 鉛 筆 色鉛筆 ボールペン ノート 定 規 コンパス パステル 消しゴム その他思い当たる物があったらよろしく 新しいものでなくともいいです 書きかけの、ノート等は子供たちの興味を引くかもしれません 衣類 今日調べましたら古着に関してはクリーニングして下さい 使用してない物に関してはそのままでもいいそうです 今回送る対象で有りませんでしたが、申し出がありましたので現地で売って金に換えられたらと思っています あて先 〒693−8790 島根県出雲市 出雲郵便局 私書箱3号 ジャンボ、キッズ係りです
フィリピンのミンダナオの貧困地区の子供に、せめてクリスマスにはお米を食べさせてあげたい!。 私の第2の故郷とも言えるフィリピン中でもミンダナオ島の人々や子供達との交流は、その後の私の人生観すら変えてしまった。 日々の3度の食事ににも事欠く現状のミンダナオの貧困漁村地区で、家族の為に働き続けながらも元気に明るく生きてる子供達にクリスマスプレゼント。お米を送ってみんなで食べてもらいたい。 現在の所、約300キロの寄付を寄せて頂いております。 お米をフィリピン現地で購入すると50kg3000円程で購入出来ます。50キロあればかなりの人数分の食事が賄えます。慢性的な貧困の手助けにはなりませんが、せめてクリスマス位は、お米の食事を食べて笑顔で迎えてもらいたいものです。 日本の国産米は現地でも美味しいと評判ですが残念ながら大量に送る事は出来ません。2次製品であれば可能ですが・・・。そこでこちらの活動では現金を送ってもいいよ!と言う方がおられましたらご連絡下さい。 フィリピンへの送金は、私の口座よりフィリピンのメトロバンクへの送金になりますが、送金手数料が2000円と高額ですので、週一回の送金を予定しております。送金手数料の関係上、寄付は1口3000円からとさせて頂きます。 寄付してくださった方には送金明細と現地にての受領サインと子供達からの手紙がご自宅まで届く予定になっております。お預かりした寄付金は、私が責任を持って子供達の手元にお届けします。 お問い合わせ tatezo-@miracle-works.net 増田
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| お問い合わせ tatezo-@miracle-works.net 増田 |